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第三章 探索の始まり

Auteur: 佐薙真琴
last update Date de publication: 2025-12-05 09:23:24

 その夜、透花は母の日記の続きを読んだ。

『透花が中学生になった。最近、また変化を感じる。以前より笑顔が増えた。でも、それは本当の笑顔だろうか』

 透花は目を閉じた。

 中学時代、透花はクラスの誰とでも仲良くしようとした。困っている友達がいれば、真っ先に手を差し伸べた。でも、透花自身が困った時、誰かに助けを求めることはなかった。

『今日、透花の担任の先生と話をした。

「透花さんは誰とでも仲が良くて、クラスをまとめてくれる存在です」と言われた。

 嬉しかった。

 でも、先生がこうも言った。

「ただ、透花さん自身のことになると、驚くほど何も話さないんですね」』

 透花は唇を噛んだ。

『私は透花に聞いた。「何か困ったことがあったら、お母さんに話してね」と。透花は笑って答えた。「大丈夫だよ。お母さんこそ、体調悪い時は無理しないでね」』

『この子は、いつも私のことを心配している。自分のことは後回しにして』

 透花は日記を閉じた。

 母は全て分かっていた。透花が自分を犠牲にしていることを。でも、母はそれを止めなかった。ただ、心配していた。

 なぜ止めなかったのだろう。

 透花は考えた。もしかしたら、母は透花が自分で気づくのを待っていたのかもしれない。自分の生き方が、本当に正しいのかどうかを。

 翌日、透花は学校が終わるとすぐに病院に向かった。

 受付で尋ねると、蒼は小児病棟にいると教えられた。透花は病棟に行き、ナースステーションで蒼の病室を聞いた。

「面会ですか? ご家族の方?」

「いえ、友達です」

 看護師は少し困った顔をしたが、最終的に病室の番号を教えてくれた。

 透花は廊下を歩き、蒼の部屋の前に立った。

 ドアをノックする。

「どうぞ」

 蒼の声がした。

 透花はドアを開けた。

 白い病室。窓際のベッドに、蒼が座っていた。本を読んでいたらしく、透花を見て驚いた表情になった。

「透花さん? どうして……」

「会いたくなって」

 透花は正直に答えた。

 蒼は嬉しそうに笑った。

「ありがとう。座って」

 透花はベッドの傍の椅子に座った。

「何読んでたの?」

「植物図鑑。ちょっと変わった趣味でしょ」

 蒼は本を見せた。

 ページには、様々な花の写真と解説が載っていた。

「植物が好きなの?」

「うん。特に花。病室から見える景色には木しかないから、せめて本の中で花を見ようと思って」

 蒼の目が、少し寂しげになった。

「ねえ、蒼くん。『這いずる蔓薔薇の庭園』って知ってる?」

 透花は突然そう聞いた。

「這いずる蔓薔薇……? 聞いたことあるような……」

 蒼は考え込んだ。

「あ、柏木家の庭だ。この病院の理事長の祖父が、昔所有していた庭園だって聞いたことがある」

「この病院の?」

「うん。この病院は柏木医療財団が運営してるんだ。創設者の柏木徹也っていう人が、戦前は植物学者で、大きな庭を持っていたらしい」

 透花は息を呑んだ。

「その庭は、今はもうないの?」

「取り壊されたって聞いた。でも、温室の一部は残ってるらしいよ。病院の敷地の奥に、廃墟として」

「廃墟……」

「うん。立ち入り禁止になってるけど。危険だからって」

 蒼は透花を見た。

「どうして庭のことを?」

「ちょっと……興味があって」

 透花は言葉を濁した。

 蒼は不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。

「僕も行ってみたいな。その庭の跡」

「え?」

「だって、柏木徹也は植物学者として有名だったんだ。世界中から珍しい植物を集めて、品種改良もしていた。その温室には、今でも珍しい植物が残ってるかもしれない」

 蒼の目が輝いた。

「僕、植物学者になりたかったんだ。病気になる前は」

「なりたかった……じゃなくて、なれるよ。きっと」

 透花の言葉に、蒼は複雑な表情を浮かべた。

「ありがとう。でも、僕の病気は……」

「諦めないで」

 透花は蒼の手を握った。

「私、その庭の跡を探してみる。そして、綺麗な花があったら、蒼くんに見せるから」

 蒼は驚いた顔をした。

「でも、立ち入り禁止だし……」

「大丈夫。何とかする」

 透花は自分でも驚くほど強い口調で言った。

 蒼を救いたい。蒼に希望を与えたい。それが、今の透花にできることだと思った。

「透花さん……」

 蒼は透花の手を握り返した。

「ありがとう。でも、無理はしないで」

「うん」

 透花は微笑んだ。


 病院を出て、透花は敷地の奥に向かった。

 裏手には古い樹木が茂り、うっそうとした森のようになっている。透花はその中を歩いた。

 やがて、鉄柵が現れた。

「立ち入り禁止」の看板が掛かっている。

 透花は柵越しに向こうを見た。

 木々の向こうに、古い建物の残骸が見えた。ガラスの大半が割れ、鉄骨が錆びている。温室だ。

 透花は周囲を見回した。

 人の気配はない。

 透花は柵をよじ登った。

 制服のスカートが引っかかるが、構わず登る。柵の上から飛び降り、着地する。

 透花は温室に向かって歩いた。

 足元には雑草が生い茂り、蔦が絡みついている。かつては手入れされた道だったのだろう。今は自然に還りつつある。

 温室の入口に辿り着いた。

 扉は半開きになっている。透花は中に入った。

 内部は思ったより明るかった。割れたガラスの天井から、秋の陽が差し込んでいる。

 そして、花があった。

 温室の中央に、一本の薔薇が咲いていた。

 深紅の花弁。蔓が鉄骨に絡みつき、上へ上へと伸びている。まるで、天を目指すように。

 透花は息を呑んだ。

 七十年間、誰も世話をしていないはずなのに、この薔薇は生きている。咲き続けている。

 透花は薔薇に近づいた。

 花弁に触れる。柔らかく、温かい。まるで生き物のように。

「美しいでしょう」

 声に振り向くと、老婦人が立っていた。

「……どうしてここに?」

「私はいつでもここにいるわ。この庭の記憶と共に」

 老婦人は薔薇を見つめた。

「これは、柏木徹也が最後に作り出した品種。『永遠の約束』という名前の薔薇」

「永遠の約束……」

「戦争に行く前、徹也は娘の美咲に約束した。『必ず戻る。そしてまた、一緒に庭を作ろう』と。でも、徹也は戻らなかった」

 老婦人の声が震えた。

「美咲はこの薔薇を守り続けた。父との約束を守るために。でも、戦後の混乱で庭は失われ、美咲は心を病んだ」

「それで……」

「美咲は最期まで、この薔薇が咲き続けることを願った。それが、父との約束だから」

 老婦人は透花を見た。

「透花ちゃん、あなたは誰かを救いたいと思っている。でも、·········

「それは……」

「人は、救われることを望んでいるのではない。···············

 老婦人は薔薇の花弁に触れた。

「この薔薇は、誰も世話をしていないのに咲き続けている。それは奇跡? いいえ、違う。これは意志よ。生きようとする意志」

「意志……」

「あなたの友達も同じ。彼は救われたいのではなく、理解されたいの。自分の人生に意味があったと、確認したいの」

 透花は蒼のことを思った。

 何も残さずに消えることが怖い。蒼はそう言った。

「この薔薇を、彼に見せなさい。そして、伝えなさい。生きることは、誰かに救われることではない。自分の意志で、今日を選ぶことだと」

 老婦人はそう言うと、温室を出ていった。

 透花は一人、薔薇の前に立ち尽くした。

 花弁が風に揺れている。まるで、透花に語りかけるように。

 透花はスマートフォンを取り出し、薔薇の写真を撮った。

 そして、温室を後にした。

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